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2015年2月19日木曜日

庶民


いいね~

庶民は楽しいよ~

庶民は自由だよ~



ルンペンと言うよりも、ラ・ボエムです。

売れたらブルジョワ、売れなかったらルンペン。

自由市場です。


なんで生計を立てているのかも、どんな素性の人間かもはっきりしない、おちぶれた放蕩者とか、ぐれて冒険的な生活を送っているブルジョアの子弟とかのほかに、浮浪人、兵隊くずれ、前科者、逃亡した漕役囚、ぺてん師、香具師、ラッツァローニ[1]、すり、手品師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の亭主、荷かつぎ人夫、文士、風琴ひき、くず屋、鋏とぎ屋、鋳かけ屋、こじき、要するに、はっきりしない、ばらばらになった、浮草のようにただよっている大衆、フランス人がラ・ボエムと呼んでいる連中 


ブルジョワジー(仏: Bourgeoisie)は、市民革命における革命の推進主体となった都市における有産の市民階級をさす。貴族や農民と区別して使われた。短くブルジョワ(仏: Bourgeois)ともいうが、これは単数形で個人を指す。20世紀の共産主義思想の下で産業資本家を指す言葉に転化し、共産主義者の間では概ね蔑称として用いられたが、この資本家階級という意味では上層ブルジョワジーのみをさしている。しかし本来はブルジョワジーという言葉には中産階級も含まれ、特に17 - 19世紀においては革命の主体になりうるほどの数と広がりを持つ階層であった。

西条高校は名門である - 西条八十


西條 八十(さいじょう やそ、男性、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。


「ルンペン節」(作曲:松平信博、歌唱:徳山璉、1931年) - 西条八十


ルンペンプロレタリアート(独:Lumpenproletariat)とは、日雇いなど種々雑多の最下層の労働者階級の蔑称を指す。略して「ルンプロ」ともいう。またこの言葉より派生して日本で浮浪者を指してルンペンと称することもある。


日本中を震撼させたあさま山荘事件の当事者である「連合赤軍」は、この事件を起こす前に「総括」と呼ばれる同志殺しを行っていた。1972年1月1日には、当時22歳であった赤軍派所属の進藤隆三郎をルンペンプロレタリアートという事由で集団リンチし、殺害した。


これなのかな? 

ルンペン節
柳 水巴 作詞
松平信博 作曲
青い空から 紙幣の束が降って
とろり昼寝の ほっペたをたたく
五両十両 百両に千両
費い切れずに 目がさめた
ハハハハ…… アッハハハ
すっからかんの 空財布
てもルンペン のんきだね

酔った酔ったよ 五勺の酒で
酔った目で見りや スベタも美人
バット一本 ふたつに折って
分けて喫うのも おつなもの
  ハハハハ…… アッハハハ
すっからかんの 空財布
てもルンペン のんきだね

プロの天国 木賃ホテル
抱いて寝て見りや 膝っこも可愛い
柏ぶとんで 時雨を聴けば
死んだ女房が 夢に来た
ハハハハ…… アッハハハ
すっからかんの 空財布
てもルンペン のんきだね

金が無いとて くよくよするな
金があっても 白髪は生える
お金持でも お墓は一つ
泣くも笑うも 五十年
ハハハハ…… アッハハハ
すっからかんの 空財布
てもルンペン のんきだね


午後から近くの公民館で行われている文芸セミナー「現代の日本文学・・西条八十」に参加した。彼が作詞した歌謡曲の題名を聞くと、こんなにも多くの有名な曲を作詞したのかと思った。今日の講師は、大阪大谷大学文学部助教授 東典幸先生だった。会場は、圧倒的に女性の方が多い。その内容を下記に紹介する。

昨今、「文学の終り」お遊びの時代になってしまったと文学蹴鞠論まで囁かれている。西条八十は、明治25年東京に生まれる。
「かなりやの唄」「まりと殿様」「肩たたき」等数多くの童謡を残している。
若いころの作品(大正8年)「桐の花」は、『おもひ出でては あるも恐ろし 大理石(なめいし)の湯槽のなかに 忘れたる、その、桐の花』思い出しただけでも、恐ろしい。桐の花を湯槽の中に忘れていたとは・・・。
なまめかしい官能的な詩である。

彼を一躍有名にしたのは、日本で初めての歌謡曲といわれる「東京行進曲」(昭和4年)であろう。昭和2年、関東大震災で銀座の柳は全滅した。当時の最新の話題を歌詞にした。
『昔悲しい 銀座の柳』
明治10年代より銀座に植えられるのは、松・桜でなく、柳だった。その柳も震災で焼けてしまった。昔の銀座の柳が恋しいなあ。
『ジャズで踊ってリキュルで更けて』
昭和初期のモダンガール・モダンボーイを歌詞にした。
『いきな浅草 忍び逢い あなた地下鉄 私はバスよ』
昭和2年日本で最初の地下鉄が浅草~上野間に開通した。
『シネマ見ましょうか お茶のみましょうか いっそ小田急で 逃げましょうか』
昭和2年小田急が開業した。見事に歌詞の中に新しいものを取り入れている。

次いで紹介のあったのが、「ルンペン節」(昭和6年)だった。コミックソングの第一歩かもしれない。当時は暗い暗い世の中で、世界恐慌が起きた不景気な時代だった。作詞は柳 水巴となっているが、歌詞が不謹慎だと思ったのか、彼はペンネームを使った。
今の時代に聞いても、笑いがこみ上げてくる。
『青い空から 紙幣の束が降って
とろり昼寝の ほっペたをたたく
五両十両 百両に千両
費い切れずに 目がさめた
ハハハハ…… アッハハハ
すっからかんの 空財布
てもルンペン のんきだね

酔った酔ったよ 五勺の酒で
酔った目で見りや スベタも美人
バット一本 ふたつに折って
分けて喫うのも おつなもの
  (繰り返し)

プロの天国 木賃ホテル
抱いて寝て見りや 膝っこも可愛い
柏ぶとんで 時雨を聴けば
死んだ女房が 夢に来た
  (繰り返し)

金が無いとて くよくよするな
金があっても 白髪は生える
お金持でも お墓は一つ
泣くも笑うも 五十年
  (繰り返し)』
どこかで聞いたことがあるフレーズだと思われる方も多いだろう。クレイジーキャッツが唄っている「スーダラ節」とダブる部分がある。

昭和19年ころ戦地で盛んに歌われた「同期の桜」の元詞になった「二輪の桜」は下記の通りである。

『君と僕とは二輪の桜
積んだ土のうの影に咲く
どうせ花なら散らなきゃならぬ
見事散りましょ国のため』

この歌詞には、死にたくないが仕方なく死にましょうと皮肉が込められている。その歌詞が帖佐裕によって書き換えられた。

『貴様と俺とは 同期の桜  同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟  みごと散りましょう  国のため』

改詞された内容では、皮肉でもなくなっている。

作詞者の彼(帖佐裕)は、平成7年亡くなったが、人間魚雷(人間が魚雷に乗って直接操舵し、敵艦に体当たりして敵艦を沈めるという兵器)「回天」の一期生だった。彼は没後、遺産2億4千万円を佐世保市に贈った。

西条八十は、軍国主義者のように見られているが、彼の「車窓にて」を読むと、彼の本心が表れている。茨城県の疎開地より2時間かけて東京まで通勤していた。

『大利根の水(利根川の水)
いくそたび 越えなば、戦火 熄(や)むべきか (何回越えれば戦争は終わるだろうか)
教子あまた 便絶えし 南の空に 舞う雲雀(ひばり) (学徒出陣した教え子たちからの便りも途絶えてしまった。もしかすれば、死んでしまったのだろうか、南の空で。或いは南の空で雲雀となって飛んでいるのだろうか)』このように、流行歌では彼の本音を出していなかったが、下記の彼の詩から本心が垣間見る気がする。

『ひもすがら ペンのさきより生まれくる やせしねずみの くろきねずみのあはれさよ』 

彼(西条八十)の最後の代表作は「王将」だった。そのモデルとなった坂田三吉は公にされていないが、堺の被差別部落出身だった。西条は将棋を全くと言っていいほど知らなかった。

『吹けば飛ぶような 将棋の駒に』という歌詞も、駒は紙でできていると思っていたという話もある。


西條八十
さいじょう・やそ
(柳 水巴)
【作詞】
東京都 新宿区 出身
明治25年(1892年)1月15日生
昭和45年(1970年)8月12日没
 音楽家年表
 詩人、フランス文学者。日本の大衆歌謡史の中で欠かすことのできない作詞家でもある。
 東京・牛込の生まれ。早稲田中学に学び、同校で生涯の師となる吉江喬松(よしえたかまつ)と出会った。吉江は農民文芸論の提唱者としても知られるフランス文学者で、早稲田大学文学部に仏文科を設けた人物。
 10代の頃から文学的才能を発揮し、15歳の時には三富朽葉たちと同人誌『深夜』を発表している。早稲田大学在学時には、三木露風、山田耕筰らと『未来』を創刊。1919(大正8)年、27歳の時に最初の詩集となる『砂金』を発表。1921(大正10)年、早稲田大学文学部の講師となり、以後長く同校の要職に就いた。同年には童謡集『鸚鵡と時計』、詩誌『詩聖』を発表している。
 戦時(1938年)には古関裕而らと共に音楽部隊隊長として中支戦線に従軍。
 戦後は、日本詩人クラブや日本詩人連盟を創立、このほか日本音楽著作権協会の会長も務めるなど、音楽~文芸の世界で重責をになった。
 童謡の作品としては「かなりあ」、歌謡曲としては「東京行進曲」「青い山脈」「蘇州夜曲」などたくさんの有名曲がある。
 ちなにみ、松田優作が主演した映画『人間の証明』のキーワードとなる「あの帽子…」は、原作を書いた森村誠一が、西条の詞「帽子」(母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ……)に大きなヒントを得たもの。
 なかしに礼が書いた小説『長崎ぶらぶら節』には、西条八十が日本の歌謡界で大変な権威者であったことがリアルに描かれている。
 名前の「八十」は実名。「苦」を示す「九」を抜いた人生を、との思いで、親が付けたもの。
写真提供:国書刊行会/著作権継承者の許諾済〔写真転載禁止〕
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「赤羽・おでん屋エレジー」 #72時間
【あす夜】ドキュメント72時間
[総合]2月20日(金) 午後10:55~11:20

毎回ひとつの場所に密着するドキュメント72時間。
気取らない居酒屋が建ち並びのん兵衛の聖地と呼ばれる赤羽。その一角に朝から行列の絶えない「立ち飲みおでん屋」がある。
ひとり朝酒を楽しむ夜勤明けの警備員から、家族におでんを買って帰る母親、居酒屋をハシゴして赤羽の夜を楽しむサラリーマンまで。
自慢のはんぺんを頬張り、カップ酒に熱々の出汁を注いだ「ダシ割り」を飲み干せば、心も体もポカポカに。寒風吹きすさぶ空の下、肩を寄せ合っておでんを頬張る男女たちの物語。

【語り】西田尚美

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『ドキュメント72時間』
[総合]毎週金曜 午後10:55~11:20(一部の地域を除く)
(再)[総合]毎週月曜 午後4:05~4:30
(再)[総合]毎週金曜 午前11:05~11:30(一部の地域を除く)
http://nhk.jp/72hours
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