日本の制度、システムに大きな欠陥がある。
つまり、首脳、つまり、根幹、つまり、トップ、つまり、ニッポンの頭が腐っている・・・
ニッポンの餓鬼
餓鬼がテレビを見て、テレビの真似ばかりしている。
テレビは、百害あって、一利なし。
ミラーニューロン発見のカギは従来の還元論的な方法論を超えて、全体論的に捉えたことだ。知覚と行動は全く別物で、認知がそれらの中間のどこかにある。これらの機能を実現する部位は脳の中で分離されている。
知覚して認知して行動する。従来からあるこの単純なモデルが脳の中にもあり、その部位と機能は分離されている。ニューロンを単純に分類できる。知覚と認知と行動の境界が越えられることはない。これに反して、ニューロン活動はもっと全体論的なものと捉える。つまり、知覚と認知と行動は関連しながら行われている。ニューロンは知覚と認知と行動の処理を一体化して行っている。知覚、認知、行動の処理がニューロン群で全体論的に行われている。重要な点はニューロンの発火や、活性化がどのようなメカニズムで発生しているかだ。現象学という哲学の一派がかなり以前からこの全体論的な新しいアプローチを取っている。フランスのモーリス・メルロ=ポンティ、エトムント・フッサール、ドイツのマルティン・ハイデガーなどだ。抽象概念の思索(プラトン的伝統)の代わりに、事象そのものに戻ること(アリストテレス的本能)を提唱した。機械論的宇宙(ニュートン、デカルト)から生命論的宇宙(ダーウィン、アインシュタイン)への進化もこのコンセプトに基づいて考えている。
ミラーニューロンの処理モデルは知覚、認知、行動の機能を脳が全体論的に並列処理していることだ。以前のモデルは逐次処理だ。コード化は一連の処理アルゴリズムをひとまとまり(コード)にすることである。模倣が感染して行動に繋がる。コミュニケーションをベースにした学習方法とその広がりのことだ。広くとらえれば教育システムだ。
知覚して認知して行動する。これはすでにコード化されたモデルであり、左脳が処理する。観察して模倣して行動する。これはコード獲得モデル、学習モデルであり、右脳が処理する。真似るは、ミラーニューロンを使って鏡のようにコードを獲得するすることだ。意図映像、背景映像、行動映像をミラーリングする。つまり、ミラーニューロンに書き込むのである。発火は左脳にあるコードを実行するためのトリガーである。活性化はコード化するための右脳の働きである。身振りは視覚情報処理、言葉は聴覚情報処理である。身振りにはアイコン(表象)とビート(拍子)がある。
推論は問題解決のために新たな論を形成すること、つまり、創造のひとつである。ボトムアップ的推論は帰納的推論のことであり、トップダウン的推論は演繹的推論のことである。共感(エンパシー)、共振(シンクロニシティ)がキーとなり、セレンデピティ、偶有性、クオリアは偶然の出会いとその価値の評価のことである。
魂は脳と深く関連していて、時空を超えて脳から脳へ伝わる。この考え方を敷衍すると、魂は必ずしも死なない。たとえば、本や絵画や音楽なども魂を伝える媒体だ。この媒体を総称してソフトウェアDNAと呼んでいる。ジーンはハードウェアDNAであり、ミームがソフトウェアDNAである。
享受とは - 何らかの価値を受け取ることである
擬態とは - 意図されたひとつのポーズである
サクラとは - 共犯者である
好意とは - 享受する為のポジティブな心理状態である
拒否とは - 享受しないというネガティブな心理状態である
無視とは - 心(脳)を閉鎖した状態である
会話とは - コミュニケーションの一形態である
主な感情とは - 喜怒哀楽である
共感とは - 脳内のコードが共振することである
表明とは - 脳内のコードを明らかにすることである
共感の表明とは - 脳内のコードが共振していることを示す何らかの手段である
ミラーリングとは - 相手のコードを自身の脳に転写することである
シミュレーションとは- 推論を何らかの形で証明することである
観察による活性化、模倣による活性化、行動による活性化がある。第三者的に自身を捉える、他人の目で考えることは、つまり、他者の目で、自分を見ることである。自分を見て、どのようにするかは、自分で決めなければならない。他者は決めてはくれない。その際に、判断を下すことなく他者の真似をすることを猿真似と呼ぶ。ミラーニューロンを使ったコミュニケーションは ひとつの学習手段であり、教育手段でもある。学ぶ側からすれば、学習手段、教える側からすれば、教育手段である
自己認識は脳内に存在する世界の中に、自分がどういう位置付けで存在しているかの確認だ。社会環境と自己認識とは、上記のような意味だ。そして、世間体とは、社会の多数派に合わせることだ。世間体を重視することは、創造的にならない。紋切り型の罠に陥ってしまう。つまり、自己放棄だ。社会も自己も進化が止まり、スタティックになる。
真似るとは、共感して、模倣して、享受することである。その結果、ひとつのコードが形成される。つまり、自己意識のひとつのファクターとなる。
うぬぼれる、優越感を持つとは他者との比較でしかない、社会との比較でしかない。逆を言えば、自身の判断で、相手が自身より上位にあると考えた場合、その逆の感情が生まれる。落ち込む、劣等感を持つ。つまり、自己を何らかのランキングシステムで評価しているにすぎない。このような感情からの脱却こそ、ランキングシステムを自身の中から排除することに他ならない。
例えば、
年齢の上位者は、優越的である - 儒教的ランキングシステムである
勝ち組、負け組とは - 勝ち負けで評価する二項だけのランキングシステムである
弱者、強者とは - 強弱による二項だけのランキングシステムである
金持ち、貧乏人とは - 金銭による二項のランキングシステムである
これらのコンセプトが社会におけるクラス分けの仕組みである。基本的人権の尊重は自己認識と、他者認識において、ランキングシステムを導入しないことである。利己主義とは、自他の関係性において、自己を優先する考え方である。利他主義とは、自他の関係において、他者を優先する考え方である。よって、対等主義こそ、民主主義だ。そして、自己認識と自己表明が必要だ。人はいろいろなファクターで自己認識している。自己を表明するときに、そのファクターのどれを出すかで、自己表現形式などが異なる。
自己は進化の過程にある複素多様体だ。スタティックではなくて、ダイナミックだ。個人主義的、唯我論的文化を打破する方法論は民主的方法論だ。つまり、自他対等主義であり、基本的自他権尊重論であり、基本的自他権対等論である。どういうファクターで優位論を展開するか。能力は多様であり、多様性がサバイバルのカギだ。単純な二項評価システムは文化的貧困の象徴だ。
メディア上に氾濫する暴力によって誘発された模倣暴力が大きな問題だ。表現の自由と社会性はセルフコントロール、自己制御の問題だ。他者からミラーリングしたコードをセルフコントロール、自己制御すれば、問題発生の確率は下がる。そのための枠組みが法治システムだ。最高法規は憲法である。憲法に基づいて法治システムが機能し、個々の人にセルフコントロールする能力があれば、自由で安全な社会が実現できる。法の下に自由で平等な社会が実現できる。
エコシステムに合った共感、共振はポジティブバイブレーションであり、好循環を招く。エコシステムに反する共感、共振は、ネガティブバイブレーションであり、悪循環に陥る。他者を含んで、エコシステムにフィットしたミラーニューロンを構築することがポジティブバイブレーションを生み、好循環の織物を形成して、ガイアを健全化させるはずだ。だだし、個々の人々は自身のミラーニューロンをセルフコントロールしなければならない。あなた自身の価値判断の下に、あなた自身の責任において、セルフコントロールしなければならない。これが、ガイアに対する権利と義務の行使である。神経科学に基づく実存主義現象学はホットなテーマだ。そして、エコシステムにフィットするようにガイアをコントロールする。天気はガイアの全体論的現象だ。