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2015年2月10日火曜日

筑紫の国

ちく【筑】
[人名用漢字] [音]チク(呉)(漢) 1 中国古代の楽器の一。箏(そう)に似た形で小さい。「撃筑」 2 筑紫(つくし)国。「筑後・筑州・筑前・筑豊(ちくほう)」 [難読]筑波(つくば)


筑紫国(つくしのくに)は、律令制成立以前の国(現在の行政機構において県)の一つである。『国造本紀』によれば、阿部臣と同祖の大彦命の5世孫にあたる田道命が、成務朝に筑紫の国造(くにのみやつこ)に任じられたとされる。その領域は現在の福岡県のうち、東部(豊前国)を除いた大部分にあたる。

『古事記』・国産み神話においては、隠岐の次、壱岐の前に筑紫島(九州)を生んだとされ、さらにその四面のひとつとして、別名を「白日別(シラヒワケ)」といったとされる。

次生、筑紫島。此島亦、身一而、有面四。面毎有名。故、筑紫国謂、白日別。豊国、言、豊日別。肥国、言、建日向日豊久士比泥別。熊曾国、言、建日別。

7世紀末までに筑前国と筑後国とに分割された。両国とも筑州(ちくしゅう)と呼ばれる。また、筑前国と筑後国の両国をさす語としては、二筑(にちく)・両筑(りょうちく)も用いられる。

(江戸期の文献[1]の説によると) 「筑紫」とは「西海道」すべてを言うのではなく、「筑前」のみを言うのである。そして、筑前が古来、異国から「大宰府」へ向かう重要な路であったため、それが石畳にて造られていた。それを称して「築石」といい、これがなまって「筑紫」となったのである。石畳の道は筑前の海岸に現存しているという。



福岡県地方は筑前、筑豊、筑後、筑紫・・・と呼ばれていますが、この「筑」とはそもそもどういう意味なのでしょうか?
よろしくお願いします。

「筑」の文字は「筑紫」の頭文字です。

大和朝廷の成立以前から、九州本島は
「筑紫嶋」と呼はばれており、『古事記』にも
「筑紫嶋」の名が見られます。
3世紀には『魏志』倭人伝に書かれているように
小国(伊都国・奴国など)に分立していました。
それらの国々は4~5世紀頃まで継承され、
後の郡の広さに近い政治地域を支配する豪族の領地に
成長していき、倭政権からは県主(あがたぬし)に
任ぜられていました。
記紀などの史料には九州各地に県・県主がみられます。
5、6世紀のヤマト政権には
筑紫国(北部)・豊国(東部)・肥国(中部)・熊襲国(南部)
の四区分に観念されていました。


元来の九州を示す「筑紫」は、
古く、古事記には「筑紫」「竺紫」、
日本書紀には「筑紫」「竹斯」「竹紫」、
万葉集には「豆久紫」と表記されました。
「筑紫」という2文字が見られるのは大化2(646)年頃から
とされます。
地名の初見は『隋書』倭国伝の「竹斯」です。
筑紫野市原田の式内名神大社筑紫神社の縁起には
「往古筑紫の名は当社の神号より起こる」とあり、
もともと政治的・軍事的に重要であった福岡平野と筑紫平野の間の
三郡山地と背振山地に挟まれた太宰府市、筑紫野市あたりの狭隘部を
指す地名であったと考えられます。



「筑紫」の語源は
国の形が「木兎(つく)」に似ているとする説、
人命尽神の「尽(つく)」に由来する説、
「築石(つくいし)」からとする説、
果ての国の「尽(つく)し」とする説など、
諸説あります。



「筑前」「筑豊」「筑後」「筑紫」のうち、
「筑紫」は、
前述の筑紫野市原田にある筑紫神社を含み、
現在の福岡市の中部以北あたりまでをエリアとする、
古くからそう呼ばれていた広大な地域。
「筑前」「筑後」は
大まかに、「筑紫の国」の北半分が「筑前」、南半分が「筑後」です。
「筑豊」は福岡県の中でも、古く「豊の国(現在の大分県)」の
領地に属していた地域、接していた地域なので
「筑+豊」です。

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