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2010年5月22日土曜日

ポンドの価値は?

ポンドの価値は?

産業革命発祥の地、ケインズ経済、マルクス経済発祥の地

マネーの価値はクレジットである・・・


ポンドの価値は? シティの価値は?

ユーロの価値は? ユーロの核となる市場は? パリとベルリン?


キャメロンさんの見解は? どうですか?


産業革命発祥の地の知は、どのような判断なのかな?




マネーの公理は? 大原理に尽きる・・・





予想通りだ・・・


その理由は?

カネのなる木はない

つまり、実体経済がアップしなければ、株価は上がらない

金融危機のマネーバブルで、消えたマネーは3000兆円

アメリカのイラク戦争の戦費は300兆円


政治は論、経済は指標、健康は気から・・・

これは、三つ巴・・・ 気だけで、景気は上がらない・・・


つまり、政治経済力学です・・・

政治は論、経済は指標、力学は気です・・・


エコシステム=エコノミー+エコロジーをコントロールするのは?

政治経済力学です・・・

力学には天気も含まれている・・・ つまり、健康も含まれている、つまり、エコロジーも含まれている・・・


マネードリブン、高さ、速さ、大きさなどの競争は終わった。過当競争になるだけ、ロスが多い

バーリュードリブン、リーズナブル、適正競争こそがエコシステムを改善する・・・

燃費が一番良い車の走行速度は? 時速40キロくらいじゃないの?

事故も減る、たとえ、事故が起きても、被害は少ない。時速80キロの1/4です。


知っているよね? 物理学・・・ 時速が2倍になれば、破壊力は4倍です・・・


マネーの公理 - チューリッヒ


これは、名著である。簡単にまとめれば、これだけ・・・ 大原理



投機は損をするケースが多い。公正な投資こそ、利殖である。





5月22日 7時11分

ドイツのメルケル首相は、ドイツが実施した国債の空売り禁止などにほかの国々も足並みをそろえるよう理解を求めるとともに、今後もヘッジファンドなど投機的な動きへの規制を強める考えを示しました。

これは、メルケル首相がドイツを初めて訪れたイギリスのキャメロン新首相と会談したあとの共同会見で述べたものです。この中で、メルケル首相は、金融市場に混乱をもたらしたと批判されている国債の空売り禁止などの規制について、「金融規制を強化すべきだということはみな理解している。規制は世界各国で行われなければならないのは明らかだ」と述べ、ほかの国々も足並みをそろえるよう理解を求めました。さらに、メルケル首相は、今後もヘッジファンドなど投機的な動きへの規制を強めていく考えを示しました。これに対して、キャメロン首相は「イギリスはユーロ圏には入っていないが、強くて安定したユーロを望む」と述べる一方、空売りなどの規制について、「それぞれの国の決定が尊重されるべきだ」と述べて、慎重な姿勢を示しました。


ガルブレイスに逆らったフリードマンが、結局は、マネーバブル、金融危機をもたらした・・・

マネタリストの敗退であった => 猿マネ軍団は? 日本の場合は? 政治とカネ

日本でも中曽根政権から小泉政権での「聖域なき構造改革にいたる政策で実施された。

不沈空母艦長・中曽根・風見鶏、そのほら吹き隊長・小泉・ライオン丸

ひでえ~~~



ガルブレイスは?


流動性の罠 => 数学モデルだけじゃ説明不可能である・・・

生産者側の宣伝によって消費者の本来意識されない欲望がかき立てられるとする依存効果(dependence effect)を説き、また彼は、それまで疑われることのなかった前提、すなわち物質生産の持続的増大が経済的・社会的健全性の証である、とする考えに対して疑問を投げかけている。この立場から彼はしばしば、最初の脱物質主義者の一人と考えられている。

消費者の本来意識されない欲望 => モチベーションの喚起、誘因、マキエを撒く

これがテレビ時代、オンタイム・ブロードキャストの20世紀アメリカ型資本主義の本質

これの逆手をとったのが、Google Inc.のふたり、ラリーとセルゲイ・・・

オンデマンド・広告システム・・・ グラスルーツ・情報革命

デマンドが発生 => クラウドをサーチする => 対象物を発見


麻生劇場で、団子三兄弟


経団連御手洗会長&麻生首相&連合高木会長


1952年に刊行された『アメリカの資本主義(邦題)』においてガルブレイスは、将来のアメリカ経済が三頭政治的、すなわち大企業、大規模労働組合および政府による支配を受けるであろうことを、恐慌以前には大企業のみが経済に対する支配力を持っていたことと対比して論じている。


1990年の『バブルの物語――暴落の前に天才がいる(邦題)』においては、ガルブレイスは数世紀にわたる金融バブルの状況を追い、その全てに共通する原理はレバレッジであるとした上、「来たるべき偉大な」と称される類の過大な期待は、多くの場合、非合理的要因による錯覚に過ぎず、とりわけバブルの絶頂においては懐疑に対する排斥が激しくなるとの警鐘を鳴らしている。


ケインズは?


これは歴史的な時間の流れにおける不確実性の本質的な介在によって、価値保蔵手段としての貨幣に対する過大な需要[注釈 3]が発生し、


=>つまり、モンスター・マネーが発生する


景気対策として中央銀行の介入による利子率のコントロール(金融政策)に期待していたが、のちの『一般理論』においては企業の利潤率の変動や流動性選好などの制約で金融政策が奏効しない可能性を認め、雇用量を制約する生産量の引き上げの方策として公共投資(財政政)の有効性を強く主張するようになった[1]


ケインズの提案は、失業手当の代替策としての性格を持っていた(当時の失業率は10%を越える状況にあった)。また過剰生産力の問題を伴わない投資として住宅投資などが想定されていたが、現実においては軍事支出によってしか完全雇用を達成するに足るほどの投資が政治的に許容されないことをケインズ本人は憂えていた[2]


マルクスは?


人間の社会的存在を土台にして、その時代における意識を規定するという関係から、人間の社会的存在下部構造、人間の意識上部構造とよび、つねに時代とともに変化する下部構造のありようが、その時代における上部構造の変化を必然的にもたらすものとされた。このようなマルクスの歴史観を唯物史観という。


日本は? よく分からないが、上部と下部はフラクタル、相似形である。一味である・・・


商品や貨幣が人間を支配し労働本来のよろこびが失われる労働の疎、生産における人間と機械の地位が逆転し、人間の主体性を否定し、まるで歯車の一部のようにみなされる機械技術による疎外[3]など


この克服手段は?


機械論的宇宙から、生命論的宇宙へ進化する


機械とは、ガイアの中で、半生命体である・・・


生まれたトキは、みな丸裸・・・ 機会均等である


他はすべて、道具である・・・

---Wiki

ケインズ経済学(ケインズけいざいがく、Keynesian economics)とは、ジョン・メイナード・ケインズの論文雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936年を出発点に中心に展開された経済学のこと。



ケインズ経済学の根幹を成しているのは有効需要の原理である。この原理は古典派経済学セイの法則と相対するもので、「供給量が需要量(投資および消費)によって制約される」というものである。これは、有効需要によって決まる現実のGDPが古典派が唯一可能とした完全雇用における均衡GDPを下回って均衡する不完全雇用を伴う均衡の可能性を認めたものである[注釈 1]このような原理から有効需要の政策的なコントロールによって、完全雇用GDPを達成し『豊富の中の貧困』という逆説を克服することを目的とした、総需要管理政策ケインズ政策)が生まれた。これは「ケインズ革命」といわれている。
ケインズ経済学では貨幣的な要因が重視されている。このことは、セイの法則の下で実物的な交換を想定とした古典派とは、対照的である[注釈 2]不完全雇用の原因について、ケインズの『一般理論』では「人々が月を欲するために失業が発生する」と言われている。これは歴史的な時間の流れにおける不確実性の本質的な介在によって、価値保蔵手段としての貨幣に対する過大な需要[注釈 3]が発生し、これが不完全雇用をもたらすとするケインズの洞察を示すものとして知られている[注釈 4]

公共投資との関連 [編集]

ケインズの生きた時代のイギリスでは、経済の成熟化で国内での投資機会が希少になり、また自由な資本移動の下で資本の国外流出を阻止するための高金利政策が国内投資を圧迫するというジレンマに悩んでいた。そこで政府が主導して資本の流出を防ぎ投資機会を創出することで国民経済の充実をはかることをケインズは考えていた。
もともとケインズは、景気対策として中央銀行の介入による利子率のコントロール(金融政策)に期待していたが、のちの『一般理論』においては企業の利潤率の変動や流動性選好などの制約で金融政策が奏効しない可能性を認め、雇用量を制約する生産量の引き上げの方策として公共投資(財政政)の有効性を強く主張するようになった[1]
またケインズの提案は、失業手当の代替策としての性格を持っていた(当時の失業率は10%を越える状況にあった)。また過剰生産力の問題を伴わない投資として住宅投資などが想定されていたが、現実においては軍事支出によってしか完全雇用を達成するに足るほどの投資が政治的に許容されないことをケインズ本人は憂えていた[2]

---Wiki
カール・ハインリヒ・マルクス(Karl Heinrich Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日は、ドイツ経済学者哲学者革命家ジャーナリスト20世において最も影響力があった思想家の一人とされる[1]
親友にして同志のフリードリヒ・エンゲルスとともに、包括的世界及び革命思想として「科学的社会主義」(学問的社会主義)を打ちたて、資本主義の高度な発展により共産主義社会が到来する必然性を説いた。特に、『共産党宣言』の結語「万国のプロレタリよ、団結せよ!」“Proletarier aller Länder, vereinigt Euch!は、彼の思想を端的に表す言葉として有名である。
マルクスの経済学批判による資本主義分析は主著『資本論に結実し、『資本論』に依拠した経済学体系はマルクス経済学と呼ばれる。

ヨーロッパ諸国遍歴と共産主義宣言 [編集]

1843年6月、マルクス25歳のときにイエニー・フォン・ヴェストファーレンと婚約。11月にパリへ出発、マルクスは友人とともに、パリで『独仏年誌』を出版した。なお、この時期マルクスは、ハインリッヒ・ハイネとの知遇を得て交友を始めることとなる。しかしながら、『独仏年誌』は2号で廃刊となり、さらにプロイセン王国枢密顧問官のフランス政府への働きかけにより、1845年1月にはパリからベルギーブリュッセルへ追放を余儀なくされた。
1846年、マルクス28歳のとき、在住地のブリュッセルにてエンゲルスとともに「共産主義国際通信委員会」を設立、さらに共産主義組織の分派争いの過程で新たに「共産主義者同盟」の結成に参画することになり、共産党宣言を起草した。しかしながら、「共産主義者同盟」内の齟齬に起因する内部争いにより、マルクスらは組織内部の少数派に転落、さらには1848年2月のフランス二月革命のため3月3日に警察に夫婦とも抑留され翌日パリにもどる。翌年にはエンゲルスの招きに応じ、1849年8月末ロンドンに亡命した。

亡命先ロンドンでの滞在生活 [編集]

マルクスの親友であり支持者であったエンゲルスは、ロンドンで実父が所有する会社に勤めており、資金面においてロンドンに滞在するマルクスを支えた。1851年からマルクスは「ニューヨーク・トリビューン」紙の特派員になり、1862年まで500回以上寄稿した。ロンドンで結成された第一インターナショナルの存在を知るや、遅ればせながら参加し、バクーニンと激しく論争した。
ロンドン亡命以降、マルクスは1850年から亡くなる1883年までの30年間、英図書館に朝10時から閉館となる夕刻の6時まで毎日通い続け、決まってG-8席に着座しては経済研究と膨大な量の資料収集を行っていた。マルクスの長年にわたる経済研究とこれらの研究成果の集大成たる資本論は、まさにここから生まれたといっても過言ではない。
1867年4月12日、資本論第一巻を刊行。資本の生産過程に関する研究成果の集大成であり、マルクス自身による最初にして最後の出版作となった[2]
1871年3月26日、マルクス53歳のときにパリ・コミューンが発生。わずか72日間の短期間ながらも、パリにおいて民衆蜂起による世界初の労働者階級の自治による革命政権が誕生した。このときマルクスは『フランスの内乱』と題する執筆を行っており、後にも革命後社会のイメージとして大いに影響されていた。他方で「なぜヴェルサイユに逃げた政府軍を追わないのか」とパリ・コミューンを痛烈に批判している。

晩年 [編集]

1871年のパリ・コミューンの蜂起鎮圧以降は『資本論の執筆活動に専念し、数百にも及ぶレポートを書きつづけた。1881年12月2日妻イエニー死亡。
1883年3月14日、亡命地ロンドンの自宅にて、肘掛け椅子に座したまま逝去(享年65歳)。マルクスは、亡命地ロンドンにいながら、自らの理論体系の構築を行うとともに、ドイツ、フランスの共産主義運動の精神的支柱であり続けたが、道半ばにして逝去した。彼の葬儀は、家族とエンゲルスらのごく親しい友人による計11人で執り行なわれた。このときのエンゲルスの弔辞は「カール・マルクスの葬儀」として遺されている。彼の墓はイギリスのアーチウェイ駅の近くハイゲト・セメタリにあり、1956年には有志の手で新たにスウェーデン産の黒御影石の胸像形が加えられた。そして現在に至るまで、彼の生前の面影を偲ぶことができる。
マルクスは、彼が亡くなる直前まで精力的に執筆活動を行っており、彼の元には膨大な草稿が遺されていた。そして彼の没後、遺された草稿に基づき、彼の意思を受け継いだエンゲルスが1889年に『資本論』第二巻を編集・出版、さらに1894年には、第三巻の編集・出版が行われた。

マルクスの歴史観 [編集]

唯物史観 [編集]

詳細は「唯物史観」を参照
マルクスの歴史観によれば、その時代における物質的生活の生産様式が社会の経済的機構社会的存在)を形成し、同時代の社会的、政治的、精神的生活諸過程一般(意識)を規定するとしている。したがって、人間の意識社会的存在との関係は、人間の意識がその時代における社会的存在(物質的生活の生産様式)を規定するのではなく、逆にその時代における社会的存在が、政治経済や芸術・道徳・宗教といった、同時代の意識そのものを規定するという関係が成立することになる。 人間の社会的存在を土台にして、その時代における意識を規定するという関係から、人間の社会的存在下部構造、人間の意識上部構造とよび、つねに時代とともに変化する下部構造のありようが、その時代における上部構造の変化を必然的にもたらすものとされた。このようなマルクスの歴史観を唯物史観という。

人間社会の発展と疎外 [編集]

マルクスは歴史分析の中で、人間の作り出したシステムや生産諸関係が人間の手を離れ、逆に人間を敵対的に抑圧する状態、すなわち疎外が発生することを指摘した。疎外の形態はさまざまであり、商品や貨幣が人間を支配し労働本来のよろこびが失われる労働の疎、生産における人間と機械の地位が逆転し、人間の主体性を否定し、まるで歯車の一部のようにみなされる機械技術による疎外[3]など、時代の発展とともに人間生活の中でさまざまな疎外が発生し、それらの疎外が上部構造と下部構造との間にさまざまな矛盾と閉塞感を生じさせ、上部構造全体の変革、すなわち革命の契機になると結論づける。

革命 [編集]

このようなマルクスの歴史観に基づき、成熟した資本主義の社会では、下部構造にさまざまな矛盾や疎外が内包されており、これらの矛盾や疎外を契機として上部構造の変革をドラスティックに推し進める社会革命が必然的にやってくることを予言した。

マルクスの資本主義観 [編集]

マルクスは資本論の中で、資本主義に内在するさまざまな矛盾点や問題点を考察する一方、資本主義そのものは、社会の生産性高めるための必要な段階と捉えており、資本主義の成熟を契機として、やがて共産主義へと移行すると考えていた。マルクスの理論からは、共産主義革命が資本主義の成熟段階を迎えていない当時のロシアでは、社会資本の充実や経済機構の整備がまだまだ未成熟であり、疎外といった社会矛盾が顕在化する段階にはなく革命が勃発することはあり得ないと考えられたためである。したがって、マルクスが共産主義革命を展開するうえで前提とされていたのは、当時のなどに代表される西欧の成熟した資本主義国家であった。
そのため、資本主義の成熟段階を経ていないロシアにおいて1917年にロシア革命が勃発し、世界初となる共産主義国家ソビエト連邦が成立したことに関して、当時から知識人の間では異論が多かった。実際、当事者であるボルシェビキも、ロシアが資本主義の成熟を見ていないという点に関して自覚的であったために(実際には先進国での革命が相次ぐと期待していたために)、メンシェビキら政敵やドイツ社会民主党に批判され、新政策立案の条件においても悩みの種であった。現在では、マルクスの主張した資本主義の成熟の果てに共産主義の実現が可能になるという前提条件は、逆に一連の社会主義国家が自国の運営とシステム運用に失敗した主要因の一つとして挙げられることが多い

---Wiki
ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith、1908年10月15日 - 2006年4月29日 )は、カナダ出身の経済学者である。いわゆる制度学派に属する。ハーバード大学名誉教授。身長は2メートルを超え、偉大な業績とも相まって「経済学の巨人」と評された。
20世紀においてその著作が最も読まれた経済学者といっても過言ではない。終身教授であったハーバード大学において教鞭をとった1934年から1975年にかけて50作以上の著書、1000を超える論文を著し、またルーズベルトトルーマンネディジョンソンの各政権に仕えた。1961年にケネディ大統領はガルブレイスを駐インド大使に任命し、彼は1963年までその任にあった。ロバート・ラヴェットいわく当時の財界はガルブレイスを一流の”小説家”と見なしていた。
アメリカ経済学会の会長を務めたこともあったガルブレイスであるが、その主張は主流派(古典派的)経済学者からは偶像破壊主義者的に見做されることも多い。その理由としてはガルブレイスが経済学の数学的なモデリングを忌避し、平易な記述の政治経済学を指向していることが挙げられる。またさらに進んで、彼の論理が確固とした実証研究に基づいていないと批判する経済学者も少なくない。彼は進歩主義的価値を重視する古典的な意味でのケインジアンであり、文筆の才にも恵まれている。彼の著作には、経済学上のトピックを扱った数多くの通俗的な著書(うち数冊は1950年代、60年代のベストセラーとなった)が含まれ、その中で彼は経済学上の理論が必ずしも実生活とうまく調和しないことを説いている。
2004年に出版され、高い評価を得た彼の伝記"John Kenneth Galbraith: His Life, His Politics, His Economics"は、彼の経歴と思想に関する新たな関心を呼び起こした。

著作 [編集]

ガルブレイスの著作は多くの経済学者にとって批判的議論の対象となっているといわれる。特に古典的自由主義の立場をとる者、あるいはオーストリア学派の流れを汲む者はガルブレイスの主張に反対し、その研究の正確性に疑問を提起している。
1952年に刊行された『アメリカの資本主義(邦題)』においてガルブレイスは、将来のアメリカ経済が三頭政治的、すなわち大企業、大規模労働組合および政府による支配を受けるであろうことを、恐慌以前には大企業のみが経済に対する支配力を持っていたことと対比して論じている。
1958年に著された彼の最も有名なベストセラー『ゆたかな社会(邦題)』では、アメリカ経済が成功に向かうためには大規模な公共事業、例えば速道路教育といった分野への投資が必要になるであろうとの彼の考えを述べている。また生産者側の宣伝によって消費者の本来意識されない欲望がかき立てられるとする依存効果(dependence effect)を説き、また彼は、それまで疑われることのなかった前提、すなわち物質生産の持続的増大が経済的・社会的健全性の証である、とする考えに対して疑問を投げかけている。この立場から彼はしばしば、最初の脱物質主義者の一人と考えられている。この著作は(ガルブレイスのケネディ大統領への影響力からみて)ケネディ、ジョンソン両政権で実施された公共投資政策、いわゆる「貧困との戦い」に大きく貢献したと考えられている。
尚、同著書は大きな論争の的となり、リバータリアニズムの立場からは、アイン・ランドがこの著を評して「ガルブレイスが主張しているのは、中世の封建主義に過ぎない」と述べ、マレー・ロスバードが「(『ゆたかな社会』は)錯誤、ドグマ的前提、昔ながらのレトリック技法に満ち溢れ、そこには筋道立った議論は存在しない」と批評した。
1967年の『新しい産業国家』で彼は、アメリカにおいて完全競の仮定に当てはまるような産業は実際には殆ど存在しないことを述べている。ガルブレイス自身は『ゆたかな社会』・『新しい産業国家』・『経済学と公共目的』を三部作と呼んでおり、ガルブレイス自身は『ゆたかな社会』および『新しい産業国家』を自己の最良の著作と考えている。
1977年の"The Age of Uncertainty"は英国では13回のBBCテレビドキュメンタリーになった。また邦訳の『不確実性の時代』は日本で1978年のベストセラーになった。『不確実性の時代』に対するマネタリストの反発は強く、特にミルトン・フリードマンの反論は激しかった。フリードマンはテレビ番組『選択の自由』を作成し、その著作もベストセラーとなった。フリードマンの『選択の自由』で示された政策は新保守主義の経済政策の支柱であり、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権において実施され、日本でも中曽政権から小泉政権での「聖域なき構造改革にいたる政策で実施された。『選択の自由』は影響力の点では一時的には『不確実性の時代』を凌ぐものとなったが、サブプライムローン問題に端を発する2008年の世界同時株安によってその評価は急落した。2008年ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、ネオケインジアンの立場から、「変動為替相場では、投機家の思惑が自己成就的な相場の変動を作り出し、変動為替相場が本質的に不安定である」ことを示し論争に終止符を打った。
1990年の『バブルの物語――暴落の前に天才がいる(邦題)』においては、ガルブレイスは数世紀にわたる金融バブルの状況を追い、その全てに共通する原理はレバレッジであるとした上、「来たるべき偉大な」と称される類の過大な期待は、多くの場合、非合理的要因による錯覚に過ぎず、とりわけバブルの絶頂においては懐疑に対する排斥が激しくなるとの警鐘を鳴らしている。自身の体験としてもブラック・マンデーの崩壊を予測して批判を受けた経緯が語られている。ただしケインジアンであるクルーグマンが指摘したように、従来、経済学者の多くは景気後退に際して金融緩和を行うと利子率が低下することで民間投資や消費が増加すると考えられていたが、利子率を下げ続けて一定水準以下になると流動性の罠が発生し、マネーサプライをいくら増やしても、民間投資や消費に火がつかないため、通常の金融政策は効力を喪失する。この問題についてはフリードマンや同じくシカゴ学派である竹中平蔵サプライサイド経済学の観点から説明することは出来ず、日本の「失われた10年」を招いたが、ガルブレイスもまた見逃している。

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